イノベーターたちが集い、お互いの実践を共有し、ともにこれからの地域社会のあり方を考えていきます。
わかりやすい正解がある時代ではなく、それぞれの現場から多様なモデルを創り出していく時代。だからこそ、多くの実験を積み重ね、互いに学びあえる場を、これからの地域社会のあり方を考え、実践していきたい皆さまと、ご一緒できればと願っています。
人口減少と高齢化という巨大な構造的課題によって、日本は大きな変革期を迎えています。それは、日本の地域において、さまざまなイノベーターたちが取り組んでいる課題です。
東日本大震災を経験した東北では、これらの構造的課題がさらに先鋭化しました。震災から5年。この間、東北にはたくさんの人材や資金、知恵が投資され、同時に、逆境の中だからこそ、東北の潜在的な力が引き出されてきました。「高齢化が進む一方で、税収が減少する中、どう人々の暮しを守っていくのか」、「地域の新たな稼ぐ力をどこに見出せばいいのか」、「労働力不足をどうすればいいのか」。様々な問いに対して、それぞれの現場で多くのイノベーターたちが試行錯誤を続けています。 東日本大震災を経験した東北では、これらの構造的課題がさらに先鋭化しました。震災から5年。この間、東北にはたくさんの人材や資金、知恵が投資され、同時に、逆境の中だからこそ、東北の潜在的な力が引き出されてきました。「高齢化が進む一方で、税収が減少する中、どう人々の暮しを守っていくのか」、「地域の新たな稼ぐ力をどこに見出せばいいのか」、「労働力不足をどうすればいいのか」。様々な問いに対して、それぞれの現場で多くのイノベーターたちが試行錯誤を続けています。
一方、「地方創生」というキーワードが注目されるよりも以前から、特に離島や過疎地域など、これまで不利と言われてきた場所から、新たな地域社会のあり方への実験的取り組みが行われ、そうした現場には、社会変化に敏感な若者たちが集っていました。そして、持続可能な地域社会をどう育てていくのかという実践は、世界中の地域で、イノベーターたちによって取り組まれている共通のアジェンダです。 一方、「地方創生」というキーワードが注目されるよりも以前から、特に離島や過疎地域など、これまで不利と言われてきた場所から、新たな地域社会のあり方への実験的取り組みが行われ、そうした現場には、社会変化に敏感な若者たちが集っていました。そして、持続可能な地域社会をどう育てていくのかという実践は、世界中の地域で、イノベーターたちによって取り組まれている共通のアジェンダです。
本フォーラムでは、東日本大震災から5年というこの時期に、東北におけるこの5年間のチャレンジを振り返りながら、日本の各地域、そして世界で同型のチャレンジを行っているイノベーターたちが集い、お互いの実践を共有し、ともにこれからの地域社会のあり方を考えていきます。 本フォーラムでは、東日本大震災から5年というこの時期に、東北におけるこの5年間のチャレンジを振り返りながら、日本の各地域、そして世界で同型のチャレンジを行っているイノベーターたちが集い、お互いの実践を共有し、ともにこれからの地域社会のあり方を考えていきます。
わかりやすい正解がある時代ではなく、それぞれの現場から多様なモデルを創り出していく時代。だからこそ、多くの実験を積み重ね、互いに学びあえる場を、これからの地域社会のあり方を考え、実践していきたい皆さまと、ご一緒できればと願っています。 わかりやすい正解がある時代ではなく、それぞれの現場から多様なモデルを創り出していく時代。だからこそ、多くの実験を積み重ね、互いに学びあえる場を、これからの地域社会のあり方を考え、実践していきたい皆さまと、ご一緒できればと願っています。
10:30〜12:00 | オープニングパネルディスカッション
Opening Panel Discussion |
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13:00〜13:50 | ローカル・イノベーション戦略会議 全体セッション Local Innovation Strategic Conference, Plenary Session |
14:05〜17:25 | ローカル・イノベーション戦略会議
Local Innovation Strategic Meetings |
17:45〜18:25 | クロージング・セッション
Closing Session |
18:40〜20:00 | 交流会
Networking Reception |
「東北・日本・世界から考える、地方創生にチェンジメーカーが果たす役割」
〜ニューオリンズの10年、デトロイト財政破綻からの再生、東北の5年を振り返り、これからの地域のあり方を考える〜
ザ・データ・センター代表兼主席人口統計学者、米国・ニューオリンズ
ハリケーン・カトリーナで被災をしたニューオリンズの人口統計と復興関連の傾向についての国際的なデータ専門家として、メディアにもよく登場する。ハリケーン・カトリーナ後、ニューオリンズの復興状況とその後の地域の繁栄をデータを通じて分析するために、ブルッキングス研究所と共同で、ニューオーリンズ・インデックス・シリーズを開発。ブルッキングス研究所プレス発行の「回復力と機会:カトリーナ及びリタ後の米国湾岸地域から学ぶ」の編集者を務めた。2001年に同センターに入る前は、ニューオリンズだけでなく、サンフランシスコやグアテマラの非営利団体および零細企業の組織管理能力の開発と強化を8年にわたり行っていた。その前には、営利セクターで約10年間、企業向けマーケティングコンサルタントを務めた。ヴァンダービルト大学卒業。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院経営学修士号取得。テュレーン大学公衆衛生熱帯医学校で博士号取得。
ポニーライド共同創設者、米国・デトロイト
2012年に、約2800平方メートルの廃屋となっていた倉庫を、10万ドルで買い取り、社会意識の高いアーティストと起業家に安価なワークスペースを提供するポニーライドというスペースをパートナーと共同創設。現在40の団体の拠点となっており、スペースの空きを待っている応募者が約100人。社会意識が高く、探究心が強い起業家が、一緒にモノづくりを行い、失敗から学び成長するには理想の場となっている。レストラン経営者としても知られ、2005年にはパートナーと一緒にバーベーキュー専門店スローズ・バーB Qを始めた。今ではデトロイト近郊だけでなく、全米から客がやってくる有名レストランとなり、支店も数店舗できている。家族と経営をしているオコーナー不動産開発の仕事も行っており、建設請負業者でもある。環境問題を取り扱う非営利団体や、ナイト財団といった様々な団体の理事会メンバーを務める。
1955年、奈良県生まれ。東京大学法学部卒、自治省入省。富山県総務部長、総務省交付税課長、内閣総理大臣秘書官、自治大学校長、東京大学大学院客員教授、復興庁統括官などを経て現職。近刊に「東日本大震災 復興が日本を変える―行政、企業、NPOの未来のかたち」(ぎょうせい)。
1990年通商産業省入省。湾岸危機対応、地球温暖化防止条約交渉、PL法立法作業著作権法や不正競争防止法の改正等に従事。 その後、クールジャパン戦略の立ち上げや地球温暖化問題の国際交渉に従事しCOP15とCOP16を担当。 最近では、2014年7月に経済産業政策局調査課長に着任し3か月間エコノミスト稼業に従事した後、内閣官房、まち・ひと・しごと創生本部に出向し、地方創生の仕事に着任。
東京大学法学部卒業後、東京電力入社。同社で事業開発部長、執行役員を務めた後、2010年執行役員を退任。2011年3月に震災が置き、南相馬に東京から支援物資を運ぶようになる。2011年9月、福島復興ソーラー(株)代表取締役、2012年4月一般社団法人福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会 代表理事。2016年1月一般社団法人「あすびと福島」に名称を変更し、代表理事。
基調スピーチ「これからのイノベーションの源泉はどこにあるのか?」
戦略会議のご紹介
コミュニティ・ソリューションズ代表兼CEO、米国ニューヨーク
イノベーティブな戦略を用いてホームレスを解消し、コミュニティを強化する国際的なリーダーとして知られる。1990年に、ホームレス問題に取り組む先駆的団体コモン・グランウンド・コミュニティを立ち上げ、ニューヨークの中心、タイムズ・スクエアにある荒廃していた旧名門ホテルを改装し、ホームレスに安価で住居を提供し、就業支援サービス等を提供。更に大きな成果を上げるために、2011年にコミュニティ・ソリューションズを立ち上げ、継続して様々なコミュニティと、ホームレスを生みだす原因を取り除くことに取り組んでいる。社会変革への貢献を高く評価され、マッカーサー・フェローとアショカ・シニア・フェローに選出されている。2012年には、ロックフェラー財団より、ジェーン・ジェイコブス・メダルを授与される。退役軍人アライアンスや、米国のイラク・アフガニスタン退役軍人といった団体の理事を務める。アマースト大学卒。
外資系組織で秘書を務めた後、喫茶店、居酒屋、手紡ぎ工房などを経営する傍ら、障碍者との出会いから介護・福祉分野に問題意識を持ち、1978年に生活支援ボランティア組織を発足させる。その後、1987年に非営利の民間福祉団体としてケア・センターやわらぎを設立。日本初の24時間365日の在宅福祉サービスを打ち出す。「困っている人を助ける福祉」から「当たり前に暮らすための仕組みづくり」を構築するための活動を続けている。
1981年、東京大学大学院修了。工学博士(原子力工学)。1987年、米国シンクタンク、バテル記念研究所の客員研究員を経て、1990年、日本総合研究所の設立に参画。取締役、創発戦略センター所長などを歴任。2000年、多摩大学大学院教授に就任。社会起業家論を開講。同年、シンクタンク・ソフィアバンクを設立、代表に就任。2003年、社会起業家フォーラムを設立、代表に就任。2008年、世界経済フォーラム(ダボス会議)GACメンバーに就任。2010年、世界賢人会議ブダペストクラブ・日本代表に就任。2011年、東日本大震災に伴う福島原発事故対策のため、内閣官房参与に就任。2012年、民主主義の進化をめざすデモクラシー2.0イニシアティブの運動を開始。著書は60冊余。http://hiroshitasaka.jp/
※14のテーマでの戦略会議を開催します。
※前半14:05〜15:35、後半15:55〜17:25の各90分となります。
稼ぐ力
担い手
挑戦
稼ぐ力
会場 5A-2
地方都市 < 地域中核都市 < 東京 < 世界。この考え方を壊し、地域から世界へダイレクトに取り組むことが大切だと語る岩佐氏。東北や地域から世界へと勝負を挑む起業家たちとともに、地域の新たな「稼ぐ力」について考える。
1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。
2011年の東日本大震災後は、大きな被害を受けた故郷山元町の復興を目的に特定非営利活動法人GRAおよび農業生産法人株式会社GRAを設立。先端施設園芸を軸とした「東北の再創造」をライフワークとするようになる。イチゴビジネスに構造変革を起こし、大手百貨店で、ひと粒1000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出す。
“御茶ノ水の大手楽器小売店に勤務し、トップセールスマンとして月100本のギターを販売する傍ら、震災後に東北への楽器の提供やイベントのサポート等を始める。ギターで復興を後押しすべく仙台に移住し(株)セッショナブルを立ち上げ、平成26年11月に仙台市青葉区一番町に国産エレキギター専門店 GLIDE(グライド)をオープン。平成28年3月より宮城県女川町にて自社ブランドエレキギターの生産開始予定。
“大学卒業後、人材紹介会社に就職し約3年間企業の採用支援に携わる。退職後は自らのルーツを探りながら無期限の旅に出かけ一年数ヶ月に渡り世界を一周。帰国後は前職の経験を活かし「日本の若者にもっと多様な選択肢を」 をミッションに独立し、現在は移住定住促進支援団体ローカルキャリアカフェの代表として西日本を中心とした地域と、個人それぞれのサポートを行っている。
稼ぐ力
会場 5C-1
地域には資源がある。だが作り手の自己満足では価値を生み出せない。消費地である都市の人が求めていること、課題として抱えていること。そのニーズに応えるために、地域の経営資源を最大化させていく。林業の六次産業化により西粟倉村全体の産業構造に変革をもたらしてきた取り組みと、震災以降培ってきたナレッジを途上国の課題解決につなげようと構想する取り組みをもとに、地域の「稼ぐ力」について考える。
北海道岩見沢市出身。大学卒業後、教育ベンチャー企業を設立。2010年に六次化事業を推進するためのコンサルティング・農業・食品研究所・食品製造会社として、仙台市に株式会社ファミリアを設立。障がい者が働きやすい環境マネージメントを構築し、六次産業や障がい者雇用のビジネスモデルは、社会に大きなインパクトを与え、視察や講演依頼が絶えない。自治体からのオファーも多数あり、まちづくりプロデュースも手がけている。
1974年生まれ。京都府宇治市出身。京都大学大学院農学研究科卒業後、民間のシンクタンクを経て2005年に株式会社アミタ持続可能経済研究所の設立に参画。森林・林業、山村に関わる新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛けてきた。06年から地域再生マネージャーとして西粟倉村に赴任。09年より株式会社西粟倉・森の学校を設立と同時に代表取締役就任。15年に株式会社森の学校ホールディングスを設立し、代表取締役に就任。
1972年徳島県生まれ。93年、早稲田大学在学中に、学生起業家の全国ネットワーク「ETIC.学生アントレプレナー連絡会議」を立ち上げる。2000年にNPO法人化、代表理事に就任。世界経済フォーラムヤング・グローバル・リーダーズに選出(2011)
暮らし
会場 5B-2
ないものを探すのではなく、いまここにあるものを活かす。老若男女、誰でも地域をつくる当事者になれる。経済発展は行政と住民をサービスの提供者と受益者に二分してきた。人口減少・財政縮小が進む地方において、これまで行政が担ってきたサービスを、地域住民自らが担うことが求められている。依存から自立へ。そのあり方を考える。
“震災前、陸前高田で夫が経営する歯科医院で、子供に歯の衛生指導をしていた。医院は流されたが、他の医療施設と共同で被災直後高台に移転。近所の主婦たち数人と共同で東大の建築家の設計による地元の人たちが集えるカフェ「りくカフェ」を開店。一年後に拡張して、ランチの提供、文化活動,セラピーなどコミュニティーの集いの場になっている。
2011年石巻市へ移住。2013年1月「一般社団法人りぷらす」設立。「子供から高齢者まで病気や障がいの有無にかかわらず地域で健康的に生活し続ける事が出来る社会を創造する」を理念に活動。高齢者、障害児、障害者、中学生、子供などが交流する多世代交流施設を運営。また、ソーシャルキャピタルを生かした、住民主体の健康づくり活動を実施。現在、健康づくりサポーターを約60名を育成、体操教室を約10箇所/月で実施。
コロンビア系米国人。サンフランシスコで生まれ、1986年、4歳の時に来日。11人兄弟。両親が青森市内でインターナショナルスクールを経営。震災翌日、友人を心配し南三陸町を訪問したのをきっかけに、家族や友人たちとともにOGAを設立。緊急支援からはじまり、多国籍なボランティアを集め、地元の放置農地の有効活用を主に、農産物の加工食品化やコミュニティ・ラーニングセンターでの多文化教育などを行う。南三陸町復興親善大使。
2005 年 5 月、地域復興のための中越復興市民会議を創設、事務局長に就任。 その後、(公社)中越防災安全推進機構復興デザインセンター長として地域復 興支援員の人材育成等に従事(2008~2014)。中山間地域の過疎化、高齢化対策としての集落支援員・地域おこし協力隊、 東日本大震災からの復興対策としての復興支援員の人材育成等を担当。
暮らし
会場 5B-3
地域の課題解決は、特定の事業者や行政のみでは解決できない複合的な要素を持っている。ニューオリンズや宮城県女川町では、地域の健康を改善するために、行政・地元事業者・大手企業・大学などとの協働による、中長期的な課題解決プロジェクトを推進している。両者の取り組みから、地域の課題解決モデルを考える。
ニューオリンズのブロード・ストリートと呼ばれる近隣地区のコミュニティ活性化を行う非営利団体ブロード・コミュニティ・コネクションズ(BCC )の代表を務める。2009年1月のBCC創設時からの代表を務める。ニューオリンズ出身で、10年以上にわたり、コミュニティ経済開発に関わり、コミュニティ開発の中でも財政面、小企業と不動産開発、健康で活気のあるコミュニティと実際の環境との関係性といったことに焦点を絞って活動を行ってきた。ウィスコンシン大卒。マサチューセッツ工科大学で都市計画と開発・住宅とコミュニティ経済開発の修士を取得。修士論文のテーマは、ニューオリンズにおけるカトリーナで被災する前と後の新鮮な食べ物へのアクセス。ニューオリンズ市内の産業開発理事会、地域計画委員会、ライド・ニューオリンズ、トラスト・フォー・パブリック・ランドのニューオリンズ諮問委員も務める。
1983年生まれ。アラスカにて卓球と狩猟に励み、その後、学業の傍ら海苔網や漁網を販売する事業を立ち上げる。その後、テキサスやスペインでの丁稚奉公期間を経て、2010年よりリサーチ担当としてNPO法人ETIC.に参画。企業や社会起業家が取り組む課題の調査やインパクト評価、政策提言支援等に取り組む。2011年、世界経済フォーラムによりグローバル・シェーパーズ・コミュニティに選出。
“大学卒業後、株式会社リクルートに入社。東日本大震災を機に宮城に戻り、被災地に必要な長期的な支援は「産業の復興」と導きだし、
それに奮闘して いる女川町と出会い、アスヘノキボウとして、トレーラーハウス宿泊村「エル ファロ」の企画、大学生のインターン誘致プログラムなどを実施。平成26年 4月からは女川町商工会まちづくり担当職員として公民連携のまちづくりに も参画している。
担い手
会場 5A-1
産業流出により50年間で100万人超の人口流出を経験したデトロイト。その治安悪化と財政破綻の規模はともに世界一とまで言われる。そのデトロイト郊外の廃墟工場跡地を活用し、地域に貢献する20のものづくり事業者が入居するインキュベーションオフィス「ポニーライド」。この場から、高校生が発案したホームレス用の3WAYバッグや、元受刑者を雇用するデニムメーカーなど、ユニークな事業が次々と生まれている。いかに地域のチャレンジャーを増やすのか、デトロイトと福島から、その方法論を考えてみる。
福島県南相馬市小高区生まれ。大学入学を機に上京し卒業後はITベンチャーに就職。2005年東京のITベンチャーの役員に就任すると同時に故郷にUターン。以降、南相馬の自宅に居ながら東京の仕事をこなすワークスタイルを確立する。東日本大震災では自宅が警戒区域に指定され家族とともに会津若松市に避難。2014年5月避難区域初のシェアオフィス「小高ワーカーズベース」事業を開始。その後、震災後では小高区初となる食堂「おだかのひるごはん」や仮設スーパー「東町エンガワ商店」をオープン。
東京にて制作会社、保険会社、大学などで、編集、広報、ブランディングに携わる。価値判断の基準が経済合理性に偏りがちな東京圏以外での生活を経験してみたいと思い、NPO法人ETIC.の右腕プログラムに応募。浪江町役場広報コーディネーターとして働き始める。「情報の力」で自治体と全国に分散避難する町民をつなぐとともに、町の存続に向けて全国への発信を意識した広報活動と、それを可能にする職員のマインドづくり・庁内の仕組みづくりに取り組む。
担い手
会場 5B-1
コミュニティ財団、クラウドファンディング、地域ファンド、ふるさと納税など、地域における資金調達のあり方が多様に広がってきている。地域から新たなチャレンジを生み出していくために、どう資金の流れを作っていくのか。
東北大学生命科学研究科博士卒。東北大学の産学官連携コーディネーターを経て、(株)ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングにてマーケティングセールスを経験。2007年から、東北イノベーションキャピタル(株)にてベンチャー企業への投資および支援に従事。震災後、発起人の一人として被災地復興ファンドおよびICT復興支援国際会議のプロジェクトを立上げ、復興支援に尽力。2011年7月末に一般社団法人MAKOTOを設立し会社を退職。
株式会社コンパス代表取締役、面白法人カヤック社外取締役、カマコンバレー(鎌倉市)のメンバー。NPO法人マチット理事。金融機関にてファンドマネジャーとして国際株式投資業務に従事後、ブランディング、コミュニケーションデザインの会社を創業。アニメ制作会社、携帯コンテンツ企画配信会社、トイ会社等の上場会社の社外役員を兼任。現在、ベンチャー企業の経営・事業戦略のサポーター、地域活性化アドバイザーとして活動中。
佐賀県庁の初代県民協働推進担当官。協働化テスト(協働の提案制度)、プロボノ、マッチングギフト方式による市民コミュニティ財団への補助、ふるさと納税のNPO等指定、NPO/NGOの誘致等に携わる。この他、「新しい公共」推進会議の専門調査会委員、地域に飛び出す公務員を応援する首長連合の初代事務局長を務めた。公務外では認定NPO法人日本IDDMネットワークの事務局責任者として16年目の活動中。
1977年生まれ。米国公益財団 国際青少年育成財団 日本事務局における助成業務の企画統括、大妻女子大学での非常勤講師、商社勤務などをへて2011年4月より仙台入り。つなプロ(被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト)のマネージャーを経て、復興と復興にとどまらないまちづくりのための資金循環をつくるべく、財団設立に参画、現職。
挑戦
会場 5C-2
人口減少・成熟社会において、政府や地方自治体など行政だけでは変化の対応に限界がある。その背景の共有も踏まえながら、政府・民間企業・NPO等、セクターを超え動けるトライセクターリーダーの必要性について、東北における実践事例をもとに、ディスカッションを行う。
※本戦略会議は、復興庁平成27年度「新しい東北」先導モデル事業の一環として開催しています。
2011 年3月14日、アーティストのパフォーマンスにより被災地に笑顔を生み出すコミュニティ支援活動 「RESMILEPROJECT」を設立。東北で活動する中で、「先を見据えて産業を生み出すこと、その意志を持った人をサポートすること」を自身の役割とし、相馬市に腰を据えて 支援活動に取り組む。2012年8月には、「復興支援センター MIRAI」を設立。地元に密着し、地域産業育 成やNPO団体と行政の連携強化に尽力する。
“2004年ロート製薬入社。2012年復興支援室に異動し2015年より現職。復興支援室に赴任当初は産業や地域コミュニティーの復興に携わり、地域の廃校を活用し子どもたちの学び場に再生した「MORIUMIUS」の立ち上げに携わる。現在は震災遺児の大学・専門学校の進学を25年に渡り支援する「公益財団法人みちのく未来基金」をはじめ、地域や行政と連携して地域に新しい価値を生む活動を継続中。
大学院を卒業してから6年間、NEC(日本電気株式会社)の事業管理の部署で働く。東京にいるときも社会的企業への支援を行うNPOの活動に参加。ETIC.の実施している「みちのく仕事」を通じて浪江町の募集に出会い、NECから経団連を通じ復興庁へ出向。2013年、4月より「右腕」として浪江町に参画。浪江町の定めた復興計画のフォローアップや町民へのタブレット配布事業を担当。2015年4月にNECに復帰している。
経営コンサルティング会社勤務を経て、東日本大震災を機に岩手県釜石市へ移住。地域コーディネーター事業『釜援隊』の立ち上げや、オンデマンドバスの実証実験、成長企業のUIターン採用支援など公民連携を推進し、現在はまち・ひと・しごと総合戦略のとりまとめを担当。『News
Picks』第3期プロピッカー(地方創生分野)、東北復興新聞にて『まちづくり釜石流』を連載中。
平成7年NTT入社。平成14年NTTドコモ転籍。入社以来17年間、一貫して法人営業部門に所属し、ドコモではプロジェクトリーダーとして数多くの案件を手がけた後、平成23年12月から現職に至る。現職では、平成25年に東北の魅力を発信する『笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト』サイトの開設や、クラウドファンディングを活用した被災地NPO支援、森林保全付グッズの販売等、東北の復興に尽力している。モットーは「現場思考」。
一橋大学社会学部・同大学院社会学研究科修了。青年海外協力隊(中東シリア・環境教育)に参加後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。同社では人材育成領域を専門とし、国内外の小売・製薬業界を中心とした全社改革プロジェクトなどに携わる。2011年5月、NPO法人クロスフィールズを創業。2011年に世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobalShaperに選出。国際協力NGOセンター(JANIC)の常任理事も務める。
1979年生まれ、神奈川県横浜市出身。事業会社勤務を経て、2012年、ヒトの潜在能力を信じ科学的な能力開発を行うことが当たり前となる世の中の実現を目指し株式会社ラーニング・イニシアティブを創業、研究大学を中心に能力開発改革支援事業や調査研究事業を行っている。
稼ぐ力
会場 5B-1
都市と地方という二項対立的な議論がされてきた中、発生した震災を機に立ち上がった「食べる通信」では被災地となった農漁村の住民と支援に駆けつけた都市住民によるこれまでなかった新しいコミュニティが生まれつつある。都市と地方の繋がりによる新たな産業の可能性について考える。
1978年香川県高松市生まれ。リーマン・ブラザーズなど複数の外資系金融機関を経て2012年に小豆島に移住。(株)459を創業し、地域資源を活用したローカルビジネスの開発を手掛ける傍ら、地域おこし協力隊として島の寺子屋教室などを企画。14年5月には編集長として食材付きの情報誌である「四国食べる通信」を創刊。つくる人の想いや生産背景を食材と共に届けることで、四国の生産者と都会の消費者をつないでいる。
1969年仙台市生まれ。東北大学法学部卒業後、伊藤忠商事株式会社入社。大学時代に、入社5年で起業するという計画から1年ずれるも、6年で伊藤忠を退社し起業。2000年、食流通関連の株式会社エバービジョン設立。2010年、日本の食文化・伝統工芸の発信する会社、株式会社四縁設立し、薬師寺門前AMRIT運営。震災後、文化人や民間企業、首都圏のボランティアとともに石巻雄勝中心に支援活動にあたる。
1982年、愛知県生まれ。一橋大学卒。大学1年生の時に株式会社デジサーチアンドアドバ タイジングでインターンを始め、そのまま就職。ブランディングのノウハウ、クリエイシ ョンの力を駆使した、企業再生・創業支援に従事。現在は、投資型クラウドファンディン グ事業の立ち上げ責任者を務め、地域創生やスタートアップの企業の事業化に関わると共 に、パートナー企業の株式公開(IPO)準備に携わっている。
1983年七尾市生まれ。07年慶應義塾大学総合政策学部卒。10年9月より民間まちづくり会社株式会社御祓川に参画。
能登留学コーディネーターや能登鍋プロジェクト事務局長として活躍。家業である七尾自動車学校では代表取締役副社長を兼務。その他、石川人交流会「Ishikawa Drinks in Tokyo」主宰、コミュニティ型観光ツアー「うれし!たのし!島流し!」アドバイザー等、
多岐に渡る活動を通じ能登や石川に関わるヒト・モノのネットワーク作りに奔走中。
稼ぐ力
会場 5B-2
2013年の空家率は13.5%(約820万戸)。今後の世帯数の減少に伴い、2030年代には空家率が30%を超えるという予測も出ている。学校の統廃合に伴う廃校の活用など、地域の資源である遊休不動産の活用をどう進めていくか。
1977年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、ドイツ証券東京支店、リーマンブラザーズ証券東京支店に勤務。
2006年に金融業界を離れ、株式会社R.projectを設立。自身が中学校時代に通った千葉県鋸南町の保田臨海学校を千代田区から譲り受け、リノベーションの末にサンセットブリーズを立ち上げる。現在は千葉県4市町村で合宿事業を、東京日本橋においてバジェットトラベル事業を展開中。
1978年生まれ。神奈川県大磯町にてまちのリノベーションに取り組む。
荒廃農地の再生プロジェクト「僕らの酒」、「正月に箱根駅伝を見ながら無農薬こたつみかんを育てるプロジェクト」、港・海水浴場の再生として漁協直営の食堂「めしや大磯港」、水産加工業「湘南定置水産加工」、「大磯 港の直売所」、「大磯市(いち)」、「砂浜ビアガーデン」、空き店舗再生として「OISO1668」、「つきやま Arts&Craft」などのプロデュースを行う。
2011年5月大学院在学中にボランティアとして宮城県石巻市へ移住。1年間でのべ28万人もの災害ボランティアを受け入れた同市で、市外からの移住者にむけた住宅が不足している実態に直面し、被災した空き家の改修、情報提供、シェアハウスの企画運営等の活動を始める。活動開始から2年間で19件の空き家の情報提供を行い、利用者は30名となった。移住者の定着をはかるため、地域の事業者へのピッチイベント等を通して起業支援を行う。
1974年生まれ。滋賀大学大学院修了。1998年きょうとNPOセンター設立と同時に事務局長に就任。2001年には日本で初めてのNPO法人放送局「京都コミュニティ放送」を立ち上げ、事務局長も兼務。2009年からは、公益財団法人京都地域創造基金の理事長に就任し、市民による公益活動の総合的な支援を展開。2010年4月龍谷大学法学部准教授に就任。2012年に非営利型株式会社PLUS SOCIALを立ち上げ、社会的投資をベースに、再生可能エネルギー事業を展開。
稼ぐ力
会場 5C-2
海外からの観光客数が年間2,000万人に迫る勢いだ。新たな地域の可能性として、インバウンド観光への取り組みが各地で進んでいる。世界に開かれた地域にするために、何を仕掛けていけばいいのか、その戦略を考える。
2003年ヤフー株式会社に入社。Yahoo!ショッピング・オークションのECコンサルティング部門や、コンシューマ事業統括本部ビジネス開発部 部長などを務める。2011年3月に東日本大震災が起きたことから、同年12月に「復興デパートメント」プロジェクトを立ち上げる。その後、社会貢献本部の本部長として復興支援に尽力。「ツール・ド・東北」も2013年の第1回大会から担当。
平成7年度旧志津川町役場入庁。平成19年度から現所属。仙台・宮城デスティネーションキャンペーンをきっかけに、それまでの観光振興策を地域全体で見直し、観光を「地域づくりの手段」そして「生きがいづくりの一環」として位置づけ、地域の観光振興に取り組んできました。平成23年3月11日の東日本大震災から一変し、一度は絶望感を抱きながらもそれまで取り組んできた成果ともいうべき地域とのネットワークの後押しや町外のネットワークの支援を受けながら今日に至ります。
長長崎県平戸島出身、UWC英国校卒業。京大在学中アレックス・カー氏の下日本の自然文化を海外へ紹介する仕事と出会う。25歳で帰郷・独立。07年27,000人超の米国人高校生が参加した全世界48の教育旅行プログラム中、平戸・小値賀・長崎市を舞台に提供したプログラムが「世界最高評価」を受け表彰された。2011年以降は東北の被災地へ外国人受入ノウハウを移転するための方法について模索を続けている。
大阪大学在学中は、就活コミュニティ運営、本の出版等を行いつつ、ETICの活動をサポート。その後某電気メーカーにて商品企画マーケティングに従事。09年11月ETIC参画。
暮らし
会場 5C-1
震災以降、心の不調を訴える若者が増えている石巻市。そうした若者たちと、漁業や農業の現場をつなげる活動が始まっている。ニューヨークでは、中心街にある荒廃していた旧名門ホテルを改装し、ホームレスに安価で住居を提供。同時にヘルスケア、就業支援サービスを行い、全米のモデルケースとなった。両者の取り組みをもとに、行政の制度のみに依存しない、セーフティーネットのあり方について考える。
14 歳でホームレス問題に出会い、ホームレス襲撃事件の根絶をめざし、炊出しや100 人ワークショップなどの活動を開始。19 歳でHomedoor を設立し、シェアサイクルHUBchari事業等でホームレスの人や生活保護受給者累計140 名以上に就労支援、300 名以上に生活支援を提供する。世界経済フォーラム(通称・ダボス会議)のGlobal Shapers や、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013 若手リーダー部門にも選出される。
“精神保健福祉士・産業カウンセラー二輪メーカーでモータースポーツ普及事業に従事、自らもワークスチームでカートレースに参戦。その後、教育分野から精神保健福祉分野へ転職したが、エンデューロレース練習中大腿骨複雑骨折の重傷を負い職をリタイア。2011年NPO法人Switchを立ち上げ、仙台・石巻の被災地を中心に困難を抱える若者の就労支援、さらに、一次産業の中間的就労の創出による社会的弱者の自立支援も行っている。
担い手
会場 5A-1
「データをもとに、地域のビジョンを考えなければならない」。ハリケーン・カトリーナの被害から「起業のまち」へと変貌を遂げたニューオリンズにおいて、その鍵となったことのひとつが、「データに基づく、地域ビジョンづくり」だった。この動きが、東北の幾つかの地域でもはじまっている。人々が地域の課題に当事者意識を持つための仕掛けについて、考える。
“大学卒業後、株式会社リクルートに入社。東日本大震災を機に宮城に戻り、被災地に必要な長期的な支援は「産業の復興」と導きだし、それに奮闘して いる女川町と出会い、アスヘノキボウとして、トレーラーハウス宿泊村「エル ファロ」の企画、大学生のインターン誘致プログラムなどを実施。平成26年 4月からは女川町商工会まちづくり担当職員として公民連携のまちづくりに も参画している。
1989年大学卒業後大手広告代理店にてソーシャル・マーケティング手法によるビジネス開発業務に携わる。2007年9月より、内閣府男女共同参画局政策企画調査官、2008年からは仕事と生活の調和推進室も兼ね、ワーク・ライフ・バランス推進のための「カエル!ジャパン」キャンペーンを策定。 2012年4月から現職。他には地球環境パートナーシッププラザ運営委員。
担い手
会場 5B-3
地域を担っていく未来の若者たちをどう育てていくか。高等教育機関のない地方都市においては、高校生たちのチャレンジ精神や郷土愛を育む人材育成への取り組みが盛んになってきている。地域における10代20代の若者たちのリーダーシップを育む取り組みとあわせて、未来に向けた人材育成戦略を考える。
1982年埼玉県生まれ。一橋大大学院商学研究科博士課程修了。学生時代に専門書と教科書の古書販売を起業。2001年にネット通販古書店「エコカレッジ」を設立。2006年に本社丸ごと島根県の山間部へ移転させ、家賃が東京の100分の1に。「過疎と戦うインターネット古書店」として、20名以上の障がい者雇用を実現。全国14カ所で「無理しない地域づくり」の実践塾を運営し、東北では伊達ルネッサンス塾(宮城県南)、ぬま大学(気仙沼市)で開講中。
福島県福島市出身。銀行勤務後転職し、医療系の国際NGOで、カンボジア・ザンビア等でマイクロファイナンスやプライマリーヘルスケアの事業に約5年間取組む。その後、FAO(国連食糧農業機関)カンボジア事務所コンサルタントとして勤務。現在は途上国コンサルタント会社を経営し、 JICA(国際協力機構)の専門家としてアフリカを中心に農業案件に携わりながら、Bridge for Fukushimaの活動を行う。
2001年に高校生のためのキャリア学習プログラム「カタリ場」を開始。これまで全国約800の高校、約170,000人の高校生に「カタリ場」を提供してきた。2011年度は東日本大震災を受け、被災地域の放課後学校「コラボ・スクール」を発案。宮城県女川町と岩手県大槌町でそれぞれ開校。被災地の子どもに対する継続的な支援を行っている。2008年「日経ウーマンオブザイヤー」受賞。2009年内閣府「女性のチャレンジ賞」受賞。
1997年、新設の宮城大学へ第一期生として入学。在学中に学生ベンチャーサークル・デュナミスへ参画。2001年、卒業と同時にデュナミスを会社法人化し、代表に就任。「世界を変える人材を数多く生み出す仕組みを創る」ことを目的として、インターンシップ事業を開始。震災後、一般社団法人ワカツクを立ち上げ、ボランティアやインターンのコーディネート事業を展開。これまで培った人材育成の手法をより洗練させ、若者たちの「問題解決」への挑戦を支援、「若者が成長できる東北」を目指している。
挑戦
会場 5A-2
地方創生の追い風を受けて、地方発のベンチャー「ローカルベンチャー」に注目が集まっている。東北でも震災を機に現場に入り、地域にあるものを発見して、新たな価値観を持ったビジネスをつくる人材が生まれつつある。「ローカルベンチャー」という新しい起業の形を経験者の話をもとに考える。
千葉・茨城・埼玉県にて失業者向け職業訓練校を 6 校運営する組織を立ち上げから従事。震災後に退職しNPO法人ETIC.右腕プログラムに参画、東北に移住。社会課題を事業として継続的に解決する仕組みを創るため、2013年高齢者向け配食サービス「愛さんさん宅食」を創業。2015年(財)KIBOW投資ファンド1号案件として決定、社会的インパクトの最大化を目指す。
2011年3月、ETIC.右腕プログラムで仙台の企業の経営サポートとして4ヶ月間参画。被災後の経営安定化のプロセスプランと運営資金の確保を行う。8月より単身宮城県七ヶ浜町に移り住み、地域活性化に向けたプロジェクトを2つ立ち上げる。現在、2016年3月に被災した浜から30秒の場所にアートカフェのOPENを予定。
“1975年生。岡山県西粟倉村にて、薪工場の運営、薪/丸太ボイラー導入コーディネートを行い実践的な木質バイオマス利用を進めると同時に、客観的な視点を持った調査研究やSNS発信を行っている。共著に「エネルギーの世界を変える。22人の仕事」(学芸出版社)
ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから 2007年新卒として日本IBMに入社。新規事業策定、業務改善、CO2削減プロジェクト等に従事する一方 で、社内での環境や社会を考えるコミュニティリードやプロボノ事業の立ち上げに参画。2011年6月日本IBM退職。2011年11月に、一般社団法人re:terra立ち上げ、代表理事。
【日 時】 | 2月27日(土)10:30-20:00 |
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【場 所】 | 秋葉原コンベンションホール(秋葉原駅徒歩1分) |
【主 催】 | ジャパン・ソサエティー(NY)、NPO法人ETIC. |
【後 援】 | 日経ビジネススクール、復興庁、内閣府 |
【参加費】 | 3,000円(先着400名、要事前予約。資料代・交流会参加費を含みます。) |
【参加者】 | 東北や全国各地のローカルイノベーションの実践者 米国の社会起業家、地域再生のリーダー(ニューオリンズ、デトロイト、ニューヨーク) 企業新規事業・人事・CSR担当者、行政関係者 ローカルイノベーションに関心のある方 (同時通訳、逐次通訳あり) |
【助 成】 | Japan Earthquake Relief Fund(本ファンドは、ジャパン・ソサエティー(JS) |
【協 賛】 | 三菱商事、KPMGジャパン |
まもなく東日本大震災から5年の節目を迎えます。今の東北では、復興公営住宅の建設、土地の嵩上げ工事、道路建設、商業施設の建設など、まちのハード面の整備に向けて、大きく動いています。一方、これまでに至るところで取り上げられている通り、人口減少・高齢化が進む東北沿岸部において、新たな生活のあり方、そして産業のあり方が求められており、その歩みは小さな種を丁寧に育てつつも、いまだ道半ばの状況です。震災以降、東北は日本の課題の先進地域と呼ばれてきました。そんな東北から、私たちはどのような東北、日本、そして世界の未来をzq提示することができるでしょうか。そのメッセージを民間から発信していくことで、東北内外におけるこの歩みの輪をさらに大きなものに育て、東北、そして日本の地域の未来に貢献していくことを目的に、本フォーラムを開催致します。
1907年にニューヨークで創立された全米最大の日米交流団体。日米の相互理解と友好関係構築を目的に、政治、経済、文化、教育など幅広い分野で講演、展示、舞台公演、人材育成などを手がける。米国の非営利法人で約2,500人の個人会員と170社の法人会員を持つ。東日本大震災発災後は、Japan Earthquake Relief Fund (JERF)を発足し、全米50州、全世界50カ国から約24,000件の寄付が集まり、総額は1,400万ドルに達した。2015年9月時点で、緊急支援、医療、メンタルヘルスを含む福祉、児童、コミュニティづくりに取り組む44団体、66のプロジェクトに総額1,395万ドル(約16億円)を提供している。
1993年設立、2000年にNPO法人化。起業家型リーダーの育成を通した社会・地域づくりをミッションとする。日本初の長期実践型インターンシップの事業化や若手社会起業家への創業支援を通じこれまで2,500名を超える学生のインターンをコーディネート、150名を超える起業家を輩出。またその仕組みを全国30地域の連携組織へ広げている。東日本大震災後、東北のリーダーを支えるための「右腕プログラム」を立ち上げ、これまでに118のプロジェクトに対して、214名の右腕人材を派遣している。また、長期的な復興の担い手となる地域のハブ組織の強化にも力を入れ、2013年度からはハブ機能強化のための日米交流プログラムや、モデルとなりうるハブ組織への助成プログラムも実施している。
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